こんにちは!
今回は横浜DeNAベイスターズの度会隆輝選手をご紹介します。
お父さんは言わずと知れた
東京ヤクルトスワローズで活躍した度会博文(ひろぶみ)さんです。
お父さんについてはご存じの方も多いと思いますが、どうやら度会選手の
お母さんは美人で明るいと評判のようです。
今回は、お父さんやお母さん、お兄さんについて深堀してみました。
DeNAの明るいムードメーカーはどんなご家庭で育ったのでしょうか?
どうぞ最後までお読みください!
度会隆輝の家族構成(父、母、兄弟は?)
度会隆輝選手は両親と兄の4人家族の次男です。
父親の博文さん。
母親は祥子(しょうこ)さんで、
度会選手が、子供の頃から野球に関すること全てをサポート、
そして兄は3歳年上の基輝(もとき)さんです。
とても明るいご両親だそうで、度会選手が明るく元気いっぱいなのはご両親の
明るさを引き継いだのではないでしょうか。
度会隆輝の母親は明るくて美人!
度会選手のお母さんの祥子(さちこ)さんは、一般人なので
年齢や職業は不詳です。
ただお父さんの博文さんが52歳なので、50歳前後かと思われます。
お父さんが、遠征などで家を不在にすることが多かったため、
子どもの教育や練習のサポートはお母さんが一手に担っていたようです。
非常に情熱をもって兄弟の野球をサポートされていたようで、
自宅に手製のバッティングゲージを作ったり、
お父さんが現役時代にはお母さんがトスを上げていたんだとか。
また、お父さんが現役を引退すると
兄弟2人のティー打撃が度会家の日課だったそうです。
中学生の頃には車で2時間の練習場までの距離を車で送迎していたそうで全面的に応援してくださったようです。
そんなお母さんのサポートについて度会選手は、
「もう20年くらい(トスを)上げているのでは……(笑)。
父は右打者ですので右手で上げ、兄と自分は左なので左手で……。器用ですし、ものすごくうまいです。父は仕事で忙しいこともあり毎晩、母が付き合ってくれました。(中学時代に在籍した)佐倉シニアのグラウンドに送迎してくれたのも母。プロに入るだけでなく、超一流の選手になって恩返ししたい思いが強いです」
と語っています。
20年・・・。家事もしながら子供たちの夢に全力で協力するお母さん。本当に素敵なおかあさんですよね!
ドラフトの時には、度会選手と共にカメラの前に立っていらっしゃいましたが
とにかく明るい笑顔が印象的でした。
長年、側で度会選手を全力で応援し支えてきたお母さん。
指名漏れなどで悔しい時期も経験した度会選手の姿も知っているはずなので喜びもひとしおだったことでしょう。
そんな度会選手のお母さんは、2023年10月発売の「野球太郎」によると
ディズニーランドのダンサーをされていたそうです。
なんだか、あの明るくてハキハキした雰囲気を見ていると納得ですね!
お母さんもやはり運動神経が良いのですね!兄弟が野球でそれぞれ活躍しているのも納得だなぁと思いました!
度会隆輝の母は大病で倒れた過去も
しかし、明るくて元気印の度会選手のお母さんも、
2019年の12月にくも膜下出血で倒れた経験があるそうです。
家族は最悪の事態も想像しましたが、
幸い後遺症も残らなかったようです。
度会選手自身も「今まで以上に感謝の気持ちがわいた」と言っています。
くも膜下出血というと、非常に怖い病気で、
後遺症が残ることも多い病気ですよね。お母さんが後遺症もなく回復されて本当に安心されたのではないでしょうか。
度会隆輝の父親はどんな人?どん底を救った父の言葉は
度会博文(ひろぶみ)さんは、1972年1月26日生まれで
2024年現在52歳です。
元プロ野球選手で東京ヤクルトスワローズにて14年間プレーをしていました。
投手、捕手以外は守れるユーティリティープレーヤーだったお父さん。
お父さんが、1軍昇格を果たした1998年は野村克也監督の最後のシーズンでもありました。
最下位に沈む5月14日の広島戦で、度会選手はサヨナラ弾を放ち、チームの4連勝と最下位脱出に貢献します。
そして、その年は野村監督の期待に応えるキャリアハイの成績を残します。
翌年1999年からは、
新監督の若松監督に代わり出場機会へ減るものの、
代打の切り札としてヤクルトになくてはならない存在となりました
少ないチャンスでもきちんと結果を出し、ヤクルトでは唯一無二の存在だったようです。
また、お父さん自身も明るい性格でチームメイトや、沢山の方に愛された選手だったそうです。
2008年に引退されてからは、
ヤクルトの球団のコーチや広報、球団営業、ファームディレクター補佐、スカウトなどを歴任した後、現在は、「ヤクルト野球アカデミー」でヘッドコーチを務めていらっしゃいます。
そんなお父さんのことを尊敬していると話していた度会選手。
いつも明るい印象の度会選手も、指名漏れを経験し、さすがに落ち込んだそうです。
そんな時、父の博文さんが
「お前の野球人生おわったんじゃないから。プロにまた行けるから。」
と声をかけてくれたそうです。
尊敬するお父さんからの言葉に次の日からはまた、度会選手はバットを振りました。お父さんからの言葉を胸に刻んで、日々研鑽を積んできたのでしょう。
プロ野球選手になる夢が叶って本当に良かったですね!
度会隆輝の兄は野球選手?どこのチーム?
度会選手には、3歳年上のお兄さん・基輝(もとき)さんがいます。
基輝さんは小学生の頃から野球を始め、中学時代は「船橋ボーイズ」でプレーしています。
その後、拓殖大学紅陵高校を経て、
父・博文さんと同じ中央学院大学へ進み、1年生から試合に出場し、2年春からは不動のレギュラーとして活躍しています。
大学を卒業後は、JPアセット証券野球部に所属する野球選手です。
渡会兄弟は野球に熱心で、お互い切磋琢磨しあう仲の良い関係であり、兄の基輝さんは「弟の活躍に悔しさはなく、二人揃って活躍するのが一番の目標。」と語っています。
度会選手は、お兄さんに憧れて野球を始めたようで、今でもとても仲の良い兄弟のようです。
お互いの存在がよい刺激になって頑張れるという関係は素敵ですね。
今後も度会兄弟の活躍が楽しみです!
明るく元気いっぱいのお母さんと、
同じく明るく優しい人柄でファンにもチームメイトにも愛されたお父さん。
そのご両親のまさに良いところを引き継いでいるような度会選手。
あの明るい
「愛されキャラ」と真摯に野球に向き合う姿勢はきっとご両親の姿を見て学んでこられたのでしょう。
度会隆輝選手の小学校からの活躍については、こちら↓
度会隆輝は小学校・中学校時代から注目選手だった! – 勝手に野球選手名鑑 (baseballfanfan.com)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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