こんにちは。
今回は阪神タイガースの島田海吏選手についてご紹介します。
阪神タイガースのメンバーがV旅行先のハワイで楽しく過ごしているのを横目に、旅行を辞退して、黙々と母校の九州学院高校でバットを振っていた島田選手。
全く納得いかなかったと振り返る昨シーズン。
とてもハワイで楽しむ気持ちにはならなかったそうです。
2024年はその苦い思いをバネに飛躍できるか。
島田選手のプロフィールや、プライベート情報をご紹介します。
島田海吏wikiプロフィール
島田 海吏(しまだ かいり)外野手 右投左打
身長 176㎝
体重 71キロ
1996年2月6日 生まれ
熊本県 宇土市出身
宇土市立宇土東小学校
(4年時から「宇土イースターズ」で野球を始める。)
宇土市立鶴城中学校
(同校の軟式野球部に所属)
九州学院高校
上武大学
阪神タイガース(2018年~)
九州学院高校時代は、外野手として1年生の秋からレギュラーの座を掴み、
2年時の春には、夢の舞台である
第84回選抜高等学校野球大会へ出場しました。
しかし、同年の春夏連覇を果たす大阪桐蔭高校との2回戦で、
後にプロでチームメイトとなる1年上の藤浪晋太郎投手の前に二打数無安打に抑えられ、チームとしてもここで敗退となりました。
「格が違いすぎて、手も足も出ない状況で…。このクラスの球を打てるようにならないとプロでは活躍できないという思いが芽生えた」
と語っています。
やはり、高校時代から藤浪選手は凄い選手だったんですね。
しかし、悔しい思いの中にも、プロへの道に進む厳しさについて改めて感じられた良い機会になったようですね。
上武大学に進学してから、2年時の春からポジションはセンターでレギュラーの座を確保。
関甲新学生野球のリーグ戦では、3年時の春季に首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得しました。
その他にもリーグ戦で通算51試合に出場、打率.329、1本塁打、33打点という成績を残したほか、
外野手としてベストナインに2回も選ばれた経験を持っています。
さらに、3年時の夏と4年時の夏には、
大学日本代表の一員として、日米大学野球選手権大会に出場しています。
4年生の夏に日本代表として出場したユニバーシアードでは、
「1番・レフト」として全7試合中6試合にスタメンで出場すると、打率.391を記録するなどの好成績でチームの優勝に貢献しました。
とにかく華々しい活躍で成績を残している島田選手。
大舞台もいくつも経験するなど、非常に有意義な大学時代を過ごしたようですね!
島田海吏はドラフト何位指名?契約金や年俸も
●2017年 ドラフト4位で阪神から指名
●契約金5,000万円
●年俸800万円(金額はいずれも推定)
島田海吏年俸(2024年)
3000万円 (金額は推定)
島田海吏の背番号は?
島田選手の背番号は53です。
阪神で外野手が背番号53を着用する事例は、
赤星憲広選手の現役引退以来8年振りです。
赤星選手の引退に際し球団側は赤星選手の背番号「53」を、
使用するのにふさわしい選手が現れるまで空き番号とする準永久欠番に指定していたのです。
赤星選手も、非常に足が速く、そして島田選手同様、ドラフト4位で阪神に指名された選手です。
ガッツ溢れるプレーは多くの阪神ファンに愛されていました。
その番号を引き継ぐのにふさわしい選手として選ばれたのが島田選手です。
それだけ大きな期待を背負って指名された島田選手は本当に凄い選手というこがお分かりいただけたのではないでしょうか。
島田海吏の学生時代のあだ名は「桐生」。その理由は?
学生時代から足が速かった島田選手。
“助っ人”として出場した中学の陸上全国大会100メートルで現日本記録保持者の桐生祥秀さん(日本生命)に先着したのは、阪神ファンの中では既に知られた話ですね。
ドラフトで指名された時に「桐生に勝った男」として注目されました。
そのことを島田選手本人に聞くと
「本当に恐れ多いですよ。彼は日本で初めて9秒台を出したスター選手ですよ!」と謙そん。
しかも「勝ったのは事実ですが、あのとき桐生はケガをしていたので、勝ったうちには入らないです」と言っていたようです。
島田海吏の父は元陸上選手だった
島田選手のご両親は島田選手が小学3年生の時に離婚されているそうで、
島田選手はお父さんの御実家のある宇土市に引っ越しされたようです。
島田選手のお父さんは、陸上の元短距離選手ということでした。
島田選手の足が速いのは、お父さんのDNAを引き継いだのでしょうね。
お父さんは島田選手が小学校時代、「宇土イースターズ」に所属しているときは
走塁コーチも引き受けられていたようです。
小さい頃から、よく実家の鏡の前で素振りをしていたそうで、お父さんにもアドバイスを求めていたそうです。
素振りだけで満足できないときは
「バッティングセンターに連れてって」と頭を下げて自宅から車で片道30分かけて打ち込みに出かけたこともあったんだとか。
野球を知らなかったお父さんですが、島田選手の為に一生懸命考えてアドバイスをしたり、忙しい合間を縫って試合の応援に行ってくれたりしたそうです。
島田選手はとてもご両親思いのようで、
年俸が上がった時は、「何か親に買ってあげたい。」と話されていました。
お母さんとも関係は良好のようです。
ご両親ともに、島田選手のご活躍を喜んでいらっしゃることでしょう!
島田海吏の妻は?子どもはいるの?
島田選手は、2022年にご結婚されています。
お相手は同い年の一般女性で、九州学院高校時代に最寄駅が同じで話すようになったそうです。
友達として連絡を取り合う仲でしたが、今季に入って急接近。
一緒に暮らし始めた2人は出会って約10年の時を経て、シーズン中にめでたくゴールインしたんだとか。
プロポーズは部屋の中でサプライズ演出。108本のバラを抱え、「結婚してください」とストレートに思いを伝え、彼女の答えは
「よろしくお願いします。」
彼女の涙に、改めて大事にしなくては、と感じた島田選手。
奥さんは、自らアスリートフードマイスターの資格を取得したそうで、
料理教室に参加するなど一から料理を勉強。
島田選手の活躍を日々の食事の面からも支えてくれているようです。
そんな奥さんの手料理の中で、一番好きなものはカレーライス。
週に一度は作ってもらい、もちろん必ずおかわりするそうです!
尚、お子さんについての情報はまだありませんでした。
島田海吏、号泣の訳
明るい笑顔が素敵な島田選手ですが、2023年、あまりの悔しさに号泣してしまう場面がありました。
2023年8月9日、巨人戦での7回。
打球を近本選手と共に追って二人でグローブを出し、島田選手が落球。
三者凡退で終わるはずがランナーを出してしまい、その後、中田翔選手に逆転ホームランを打たれて試合がひっくり返されてしまったのです。
その後、チームメイトが再び逆転してくれて、試合は5ー2で阪神が勝利したものの、島田選手は試合後のインタビューで自身のふがいなさに涙が止まらない様子でした。
他の活躍している選手も、過去様々な試合で悔しくて涙を流しているシーンを見かけることがありますが、
ミスをして悔しい思いをして、それをバネに努力をして技術や心を磨いているのでしょうね。
バットでも快音を響かせることが出来ず、自身にとっては本当に悔しいシーズンになったようです。
しかし、島田選手はもう前を向いて、2024年のシーズンを並々ならぬ決意で準備をしているようです。
悔しさを力に変えて大きな飛躍の一年に。
力強いバッティングと、俊足で是非今年の阪神タイガースのリーグ優勝、そして日本一に貢献するメンバーとなって欲しいですね!
今回は阪神タイガースの伝説の赤星選手の背番号53を引き継ぐ選手、
島田海吏選手をご紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント