大関友久は癌を克服し左のエースへ。出身中学、高校や、兄弟や家族構成、彼女についても

国内プロ野球選手

皆さん、こんにちは!

本日は、「ゼキ」の愛称で親しまれる、大関友久投手をご紹介します。

今シーズンから背番号を47に変更

47は、ホークスの左のエースがつけてきた非常に重みのある番号です。

それを自ら選び、自分の目標を掲げ日々努力し続ける大関投手。

「かわいい!」「イケボ」と女性ファンも急増している大関投手は

どんな幼少期を過ごしたの?

癌と診断された時の経緯や思い、

兄弟や家族構成、

彼女などのプライベートについても深堀していきます!

最後までお付き合いください。

大関友久の身長や体重、球種などwikiプロフィール

大関友久(おおぜき ともひさ)投手 左投左打

●誕生日 1997年12月14日

●出身地 茨城県土浦市出身

●愛称 ゼキ

●身長 184㎝

●体重 94㎏

●育成2位指名

●年俸 5500万円(2024年)

●球種 ストレート(最速152km/h)カーブ・スライダー・チェンジアップ・

フォーク・ツーシーム

●経歴

土浦市立都和中学校

(硬式野球のクラブチームである『常総ドリームボーイズ』に所属)

茨城県立土浦湖北高等学校

(1年秋からチームのエースとなる)

3年生の夏は右手を疲労骨折していた影響もあって3回戦で敗退し、プロ志望届を提出したものの指名漏れとなってしまいました。甲子園出場経験は無いようです。

仙台大学

(1年春からリーグ戦に出場)

福岡ソフトバンクホークス(2019年~)育成2位

 

大関友久の幼少期

大関友久投手が初めてボールに触れたのは、2歳の頃でした。

父と一緒にボールを転がして遊ぶことが大好きな子どもだったそうです。

先に野球をしていたお兄さんの影響もあり、

大関投手も小学生から野球を始めました。

そんな大関投手の為に、お父さんはまず最初に、庭先に壁あてをして遊べるようにボードを準備したそうです。

ボードには、バッターが立っている絵と、四角いストライクゾーンを書き、そのストライクゾーンに向かって黙々とボールを投げ続けていました。

毎日物凄い数を投げ続けた為、

ボードを外した後は壁がへこんでいました

次にお父さんは、ビニールハウスの練習場を作ってあげたそうで、

大関投手は、ひたすらその中でネットピッチングをしたり、ティーバッティングをしたりして毎日電気をつけて夜まで練習をしていたそうです。

本人は、お父さんが楽しく毎日遊びながら自然と練習になるようなことをさせてくれていたので楽しかったと話しています。

そんな大関投手にお父さんは「杉内投手のような投手になりなさい」とよく話していたそうです。

力感のない綺麗なフォームで、

それでいて最後は力のあるボールを投げられる杉内投手を

お父さんは、お手本にするには良い選手だと感じたようです。

その影響もあり、大関投手自身も杉内投手が憧れの選手でした。

子どもの頃から、自分で目標に向かって考えて努力してきた大関投手。

それは大人になってからも変わらないようですね。

夢を全力で応援してきたお父さんと、そしてひたすら黙々とその目標に向かって努力してきた大関投手。

大関投手の真面目な人柄がよくわかるエピソードだな、と思いました!

 

大関友久の家族構成

大関友久投手のご家族は、

祖母

父 正さん

母 名前はわかりませんが看護師をされています。

姉(2人)

兄 野球をしていた

ということがわかっています。

お兄さんが先に野球をしていたようですが、お父さんもかなり野球には詳しいようです。もしかしたら、お父さんも学生時代、野球をしていたのかもしれません。

また、後で書きますが、大関投手が自分の体の違和感に気づいた時に、一番初めに相談したのは、看護師をしていたお母さんだそうです。

そして、自身の胸の内を色々ときいてくれたのはお姉さんのようです。

これからと思っていた矢先に突然、自分の体を襲った病魔に

かなり不安や恐れを覚えたと思いますが、ご家族が心の支えになってくれたようですね。

スピード復帰の陰には間違いなくご家族の支えがあったのでしょう!

 

大関友久に彼女はいるの?好きなタイプも

大関友久投手は、穏やかな見た目と低音ボイスで、女性ファンがとても増えているようです!

そんな大関投手の彼女の存在が気になる方も多いと思い、調べてみました。

現在は彼女のウワサ、元カノに関しても一切情報はありませんでした。

因みに好きなタイプの女性は明るい人

そして、ドジをしちゃうような女性も可愛いな、と思うんだそうです。

ぶりっこをする女性も嫌いではないようで、見た目というよりも、内面が少し幼さもあるような可愛らしい女性が好きなようですね!

 

大関友久が癌に。病気をして感じたことは。

大関友久投手は、

2022年7月末に、ソファーに座っているときに違和感を感じて、

自分の携帯で検索したところ、やはりおかしいと思い、看護師をしている母親に相談。

その後、8月1日に病院で検査を受けたところ左精巣癌と判明、翌2日には左睾丸の高位精巣摘除術を受けました。

術後、ほどなくしてリハビリをして、大胆な投球フォームの改良に取り組み、シーズン中に復帰。

自身が病気をして感じたことについて

「正直に言うと『自分は意外と長くないのかもな』と思った瞬間もあったし、のんびり生きている場合じゃないなと考えた時期もあった」

 

「僕は野球で今まで生きてきた。病気を経験したからこそ、やっぱり野球に集中するべきだなとあらためて思ったし、迷いがなくなった」

 

と話していました。

若い方が癌にかかると進行が早い場合もあり、非常に心配したファンの方も多かったと思いますが、この経験を通して益々、大関投手は野球への取り組み方や生き方について向き合ったようです。

本当に無事に戻ってきてくれてよかった!!!

大関友久は背番号を左のエース番号へ変更

今季から背番号を47に変えた大関投手。

背番号47は歴代ホークスのエースがつけてきた番号です。

以前ホークスの監督も務めた工藤公康さんや、杉内俊哉さんがつけてきました。

伝統ある背番号を背負い、気持ちも新たに、必ずその番号に見合う自分になれるように努力すると誓った大関投手。

将来的にはメジャーリーグも視野に入っているようです。

今季はどんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。

今回は、ホークスのサウスポー、大関友久投手をご紹介しました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

 

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